真ボスという呪い

 「真ボス」…怒首領蜂のカリスマボス「火蜂」によって多くのプレイヤー、そして多くのクリエイターに絶大な影響を及ぼしたそれは今やSTGの様式美のひとつとなった。最終ステージのボスを倒したと思ったのも束の間、派手な演出や専用のBGMを引っ下げてさらなる強敵が目の前に立ち塞がり、尋常じゃない熾烈な攻撃を仕掛けてくる。まさに死力を尽くした最後の戦いであり、ゲームをプレイしていて最高に盛り上がる瞬間だ。

 ……とは言ったものの、こう猫も杓子も真ボス真ボスと毎回お決まりの展開が続くとさすがに疑問に思えてくる人もいるだろう。STGに真ボスって本当に必要なのか?真ボスの存在ってそんなに重要か?と。今回はその問いに、あくまで個人的な意見ではあるが私なりの答えを提示してみたいと思う。自分のゲームでも真ボス登場させたしな。結論から言うと真ボスは「要る」。要るんだよ!STGには真ボスが必要なのです!

 何故なら真ボスは単なるプレイヤーへの挑戦以上の役割として「ゲームを終わらせるための記号」という、重要な意味を持っているからだ。過去のゲームをプレイする場合は特に問題はない。ここで想定するのは新しいゲーム、もしくは自分の知らない未知のゲームを自力で攻略しようとした場合だ。そういったゲームをクリアしたとして、いやクリアしたように見えたとして、それが本当にそのゲームの終着点なのかどうか、判断に困ったことはないだろうか。私はある。そりゃもう数え切れないほど何度もある。エンディングを眺めながら、もしかしたら真ボスがいるかもしれない、真のエンディングがあるかもしれない…と幾度となく疑心暗鬼に陥ってきた。これは恐るべき事態だ。本来ゲームクリアというものは達成感を味わい、喜ぶべきもののはず。なのにどうにも煮え切らないモヤモヤした思いを抱えたままゲームを終えることになってしまうというのは、エンターテイメントの在り方としてあまりに不健全だ。

 だから真ボスが必要なのだ。このゲームはここで終わりだ!お前の勝ちだおめでとう!とプレイヤーに伝えるためのメッセンジャーとして真ボスを登場させ、それをやっつけて気持ち良くゲームを終えてもらわなくてはならないのだ。これはプレイヤーの望むと望まざるとに関わらず、またクリエイターの好むと好まざるとに関わらないものだ。真ボスなんて要らん居なくていいと思ったとしても、実際にそのゲームに真ボスなど居なかったとしても、長年に渡り刷り込まれた様式としてプレイヤーは真ボスの存在を意識しながらプレイせざるを得なくなってしまったのである。さながら呪いのようではないか。

 この呪いを解くために必要なものがあるとすれば、それは新たな「王」の誕生だろう。怒首領蜂を過去へと吹き飛ばし、後に続く新作たちの在り方を全て塗り替えるような、そんなSTG界の頂点に立つ絶対王者が「STGに真ボスなど不要!」と高らかに宣言することが不可欠である。だが果たしてそんなゲームがこの先登場するのだろうか。作品としての評価だけでなく業界への影響力まで含めて怒首領蜂を越えるなど、そんなことが人類に可能なのだろうか。……できるわけねぇよ!怒蜂神ゲーだもん!

2022/07/20

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